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「制度改革」とは何か

最近街を歩いていて、数年後の裁判員制度の開始に関してのポスターをよく見かけるようになりました。
政治について考えているといいながらほとんど新聞も読まずテレビのニュースも観ない私は、いったい、いつこんな法案が国会通ったのだろう、と自分の寡聞につい情けなくなったのですけれど、裁判員制度に関しては、導入開始を知らせる政府広報のポスターだけでなく、あちらこちらでこれに関しての自主的な勉強会やら講習会が開かれる案内も目につくようになって、社会の動きに取り残されている自分をますます感じて、これからますます新聞もニュースも読まなくなりそうな自棄な気持ちを感じている今日この頃なのです(苦笑)もちろん裁判員制度がそのまま=陪審制度という訳ではなく、立法趣旨も両者では微妙に異なりますが、勉強会や講習会の内容を見ると、大体、陪審制度に関してのメジャーなアメリカ映画が使われ、上映会の感想の語りあいが「勉強」や「講習」であるパターンが多いようです。そうした勉強会や講習会の成果かどうかわかりませんが、電車の中で、それについて語る人たちの言葉も耳にするようになりました。
この司法制度の改革はしばらく前から準備されていたもので、一昔前の小泉改革の中では他の改革に比して一線を画するものといえると思いますが、いつのまにか規定路線化してしまった改革についていこうとする人々の集いを見るにつけ、この国には幾度かこういう風景があって、私のような呑気な人間は、その時々に生きていたとしても、ちょっと息苦しいくらいの、どうにか変わろうとする生真面目さについていけず、やはりその時代に生きていても自分みたいな人間は白けていたんだろうな、と妙な納得する思いを感じました。
    どういう白け方か、ということですが、私あるいは私のような人間が言いたいことは、「改革」のきっかけが外国に由来することがオリジナルなことではない、というようなことではありません。我が国においてはどの時代も、外国文化を受容しながら、内実は全く受容していない、というような不思議な受容の仕方を繰り返しているのは私も理解しているし、それは良し悪しの問題ではありません。ただ、受容する際に、妙に硬直化した教科書主義のようなものが罷り通る。それがやむを得ないように思えはしますが、私のような教科書嫌いの人間からすると、どうしようもなく堅苦しいように思えてくる。受容の際には確かに体系は必要なのでしょうが、しかしそれが果たして「教科書」という教条にまでいたる必要があるのかどうか。言うまでもなく「教科書」は言葉の型通りの教科書という意味ではありません。     
     裁判員制度を表面的でなく、歴史的な面まで深く学習されている方々はご存知のことではないかと思いますが、陪審制あるいは「陪審制的なるもの」というのは決してアメリカ文化の専売特許ではありません。これらの起源は市民自身が裁判の評決をおこなうという中世フランク王国の風習に基づきますが、その後イギリスでフランク王国の風習のスケールを大きく逸脱して発展し、これがやがてアメリカに渡りました。法制史的な言い方をすれば、ヨーロッパ大陸法と英米法の中間的な性格をもっているといえます。実は日本にも昭和2年から昭和18年まで被告人の選択によるものとはいえ刑事陪審制度が存在していましたが(272件の陪審評決あり)これはヨーロッパ大陸法の影響が強かった戦前においても決して奇異なことではないといえるでしょう。
    しかし陪審制そのものでなく、「陪審制文化」という視点で考えるならば、陪審制を題材にした二十世紀のいろんなシナリオやストーリーの殆どが、アメリカから発せられていることにも目を向けなければならない、とはいえます。これは陪審制度の導入や制度の有無という客観的側面を超えて、陪審制度がアメリカという国家の文化的ナショナリズムの一面を形成しているからということになります。
    「文化的ナショナリズム」ということは何処の国にもあり、厳密にいえばほとんどどの人間にもあります。「日本という国を放棄した」という人でも、食事や精神生活で、いっさい「日本」を放棄することができるわけはない。ラディカルな国家主義批判をする日本共産党の人達が、「青々とした空や水の世界を取り戻そう」というとき、すでにその主張は何らかの形で「文化的ナショナリズム」と無縁ではありません。「文化」という言葉は普遍的かもしれませんが、「かけがえのないもの」というものを持ち出したとき、愛情という個別性が普遍性にかぶさり、文化的ナショナリズムを形成する、といえましょう。近代的制度がこの文化的ナショナリズムにかかわる倒錯も、国によっては当然に生じてきます。アメリカ人の民主主義崇拝ということはよく言われますが、陪審制ということは、そういう文化的ナショナリズムの一要素ということになります。彼らは決して自己批判的に陪審制を批判することを厭わないですけれど、しかし根本的な解消ということはほぼ絶対に考えない。要はこのシステムがアメリカという国の体の一部である、すなわち「アメリカニズム」一部分である、ということだからです。
    私が考えるのは、受容しつつも内実は実は全く受容していないにもかかわらずいつのまにか受容し終えている、という不思議だけれど実は巧妙な受容吸収を繰り返してきた私達の国にとって、こうした戦後のアメリカニズムの受容は果たして私達の国の「受容」の伝統にあてはまるものかどうか、ということです。
   たとえば7世紀の我が国において、中国文化をギリギリまで受容することによって、逆に中国文化に成りきれない日本文化というものをそこに発見することができたわけです。白村江の敗戦による建国の必要性という厳しい要求があったとはいえ、その要求の中で、単なる間に合わせではない、精神的ドラマをたとえば太安万侶の漢文受容に見出すことができる。明治維新の時のヨーロッパ文化の受容吸収にしてもほとんど同様で、明治の終わりにいたるまでの知識人の数多くの苦悩を私達は多く読むことができます。ゆえに、我が国の不思議かつ巨大な全体像を知るためには、「和・漢・洋」を知らねばならない、という公理が成立するのですね。しかし果たして戦後日本のアメリカの受容(あるいは擬似受容)ということに、同様の精神的ドラマがあったのかどうか。アメリカ文化を純粋な「洋」でないと考えてみて、「和・漢・洋・米」となっていないのは、アメリカ文化の性格に根ざすのか、それとも私達の不完全なアメリカ文化受容の形のせいなのか、この根本的な点が意外に見落とされたまま、裁判員制度のようなアメリカ文化の更なる受容が繰り返されているのではないか、と私は思います。そしてそれは、「文化」と「文化的ナショナリズム」の区別のつかないくらいに、私達が生半可なアメリカ文化受容をしてきたから、といえるのではないでしょうか。いったい、アメリカ人になりきることで、アメリカ人と日本人の境界線を逆に明瞭化した知識人が戦後日本にいたのでしょうか。ほどほどにアメリカ被れであることが、アメリカを理解した、というような理解になっている場合がほとんどであった、というべきでしょう。 
   このことについて、少し別の角度から、考えていくことにしましょう。    
   私の親友はよく知っていることなのですけれど、私はサルトルとメルロ・ポンティの哲学書と小説が昔から今に至るまで(いつまでたっても)何となく好きで、というか不思議と手離せず、今でも気が向くと彼の本を片手に喫茶店なり公園なり居酒屋に出かけることがあります。特にサルトルはよく読みます。しかしまず、政治的傾向という面からすれば、私自身はサルトルともメルロ・ポンティとも、根本的に世界観を相違します。私が同時代のフランスに生きていたとしたら、当時フランスで頻発していたという、保守派の反サルトル・デモに参加していた可能性は極めて高い。政治論がこうですから、マルクス主義の影響が濃厚な両者の歴史論は拒絶対象の最たるものです。
    残されたのは文学作品や哲学理論について、ということになりますが、サルトルに限っていえば、それらですら、彼の作品は普通の意味で「面白い」ものではないのです。しかし「面白い」とはいったい何か、なのですね。たとえば哲学と文学の境界線で両方の世界の嗜好を楽しむなら、ニーチェの方がよほど刺激的で感動的です。キルケゴールもまた然り。比べてサルトルの世界は形式や方法論が優等生然としているところが、どうしても堅苦しい。つまりニーチェやキルケゴールは面白くてサルトルはつまらないということが普通にはいえそうですが、しかし私にとっては、サルトルの面白さは、常に反面教師としての魅力に他なりません。たとえば、芥川龍之介の小説は、年をとればとるほど、私にとってはつまらない書生文学に思えてきました。にもかかわらず、その不器用な芥川の小説が、日本人のとらえにくい特性を、実に巧妙に描き出している面があることに逆に気づいて、そこに逆説的な面白さを見出す、というような読み方が、できるようになってきました。
    サルトルの「面白さ」ということにもう少しこだわると、たとえば小林秀雄は三島由紀夫との対談で、サルトルの魅力を正面から卒直に否定する三島に対して、いやサルトルはドストエフスキーをはじめ様々な文学を器用に読みこなしているんですよ、と言い返していますが、小林の言いたいことは、サルトルは方法論といい主題の捉まえ方といい、実に優等生的に優れている、しかしそうであるからこそ、文学の本質である得たいの知れないものからは遠ざかっていく、ということのように思えます。ある意味でサルトルは勉強家でありすぎ、頭がよすぎるということなのだ、だからこそ、文学を学ぶ者にとっては非常に重要な何かの人物である、ということに他ならないのでしょう。けれど三島はサルトルの逆説的存在は全面的に否定しています。これは、逆説的存在ということも逆説的でなくすような意識家でありつづけた三島のその後の文学的人生を考えると、非常に面白い指摘であるようにも思えます。
     しかしポストモダニムがニューアカデミズムブームの衣装を纏って威力をまだ維持していた私の学生時代、たとえ私のような屈折した形であってもサルトル好きというのは、文学にせよ哲学にせよ議論の場では排撃される格好の対象でした。一にも二にも「サルトルの時代は終わっている」ということがその排撃の理由でした。もちろん、私の屈折が、一時代前の「サルトルの時代」という大流行とその衰退という現象に対して、逆説的な意味を目的にした面がなかったわけではありません。けれど私の心の支えになったのは、大森荘蔵が言うように、「哲学や思想は誰が勝った、終わったというような猿芝居では断じてない」という言葉でした。明らかにポストモダニズムというのは、ある意味でマルクス主義の変種であるかのような、この「猿芝居」の典型であるかのような気配でした。
     たとえば・・・曰く、「サルトルの意識中心主義・視覚中心主義は、デリダ等の批判によって決定的に時代遅れになった」・・・曰く、「無意識をきっぱり否定したサルトルの哲学は、フロイトを再評価する思想の潮流と合致せずこれもまた時代遅れといわざるをえない」・・・こうした反サルトルの見解はあたっています。しかし、では、意識中心主義がデリダの脱構築で否定されたからといって、「意識がない」というふうに意識中心主義が否定されたのかといえば、そんなことはぜんぜんいえません。無意識の問題にしても、現在の心理学全盛の雰囲気では確かに無意識の存在は実在的なようにみえますが、実はそれが実証できているかどうかについては実は幾重にも検討しなければならないのです。
     「決着」は実は全くついていない。あるいはつくはずもないのです。「決着」がついていると判断しうる唯一の絶対的根拠はどうも「時代」ということになります。こうしたデリダを主流としたポストモダニズムの手口は、実は一昔前に、「階級」と「時代」を結びつけて、何もかも「決着」がついたのだ、というマルクス主義者の傲慢な手口に酷似しています。「おまえは誰某の哲学者や思想家が時代遅れだということを端から信じていない」と言われれば、その通りかも知れません。しかし「サルトルが時代遅れだ」と言われても、「時代とは何か」という問いに不器用にとどまることの方が全然哲学的・思想的ではないか、というふうに私は反論します。近代経済学に詳しい方でしたら、サルトルについて私が指摘してきたこの文章の「サルトル」を「ケインズ」と読み替えてみればいいでしょう。ケインズが提出した理論の何が「時代遅れ」になったのか全く判然としないまま、反ケインズの獰猛な嵐が、この国に一時期吹き荒れたのですね。しかしケインズの経済学理論が「時代」によって遅れたものになったかどうか、ということは、ケインズの経済学にとっては少しも本質的でないことは、近代経済学の流れの真髄を吸収された方にとっては誰しもお分かりのことではないか、と思います。
     つまり、哲学・思想はファッションであるというとらえ方がどうもいつまでたっても主流である。対して私はもう少し実践的に考えていて、自分の現実にかかわる言葉を、今よりずっとプリミティヴな形でさがしていた、というだけの違いなのでしょう。本質的でない、と私が言っているだけのことであるのだから、私の指摘も本質的とはいえないでしょう。だからサルトルを批判した彼らが間違っていて、私が正しかったということではもちろんありません。あるいはファッションと知は分かち難く結びついているといわざるをえないし、ファッションだからこそ、読書量や勉強量が著しいということも、当然、逆説的に言えます。ポストモダニズムに関していえば、「彼ら」はスムーズに、知の雰囲気を吸収し、次から次へといろんな本を読みこなしていきました。私はサルトルに付き合わされたあの頃の時間、もっと他の哲学者や思想家に出会えたのではないかという後悔を、今でも真剣に感じているくらいなのです。しかしこのことだけはいえると思うのですが、サルトルを批判してデリダが勝利したといっていた友人達は、思想と思想史の区別がついていなかったのではないか、ということです。ケインズ批判も同様ですが、思想史の狭い文脈だったら、サルトルが時代遅れとかケインズが時代遅れとかはいって差し支えないのでしょう。
     そう思い当時の記憶を整理すると、一度だけ、印象的な現実的場面があります。次から次へとサルトル批判を繰り出してくる(私などよりずっと頭のいい)友人の中の一人に、「君は息苦しくないかい?こんなに毎日同じものを読んでいて・・・」と尋ねてくる一人がありました。私は苦しくないどころか気楽そのものだったので、自分が感じていた「違和感」を彼に説明したのですが、どうも息苦しいのは彼の方みたいだったように思えてきました。時間を少しかけて尋ね返してみると、もう毎日義務感のようなものに取り付かれて読んでいるけど、読めば読むほど、息苦しくて仕方ないのだ、というのですね。「デリダが自分の毎日に関係ないということではないのだけど!」と彼は大声で(彼は私の観察する限りでは、デリダが大好きでした)いって、それほど真剣に聞いていなかった私をびっくりさせました。
   なんだかドイツの教養小説の一場面みたいな話ですけど(笑)私は自分は自分にとって必要だという意味での義務感から、サルトル等を読んでいるだけだ、というと、彼は、「義務感」がどこか自分とは遠い別のところから来て、哲学や思想の流行を追わなければならない、という感じで毎日濫読を強いられているのだ、といいました。話はそれだけなのですが、「自分から遠い何処かからやってくる義務感」という言葉が、今になってあまり知的成長も知的変貌もしていない私に、鮮やかというか強烈に残っていいて、ボロボロになった「存在と無」や「自由への道」「嘔吐」などの本を眺めながら「あれは何か・・・」と考えることがあります。
    司法制度改革に話を戻しましょう。私達がなぜ「改革」ということを懸命に志すのか、と考えるとき、あのデリダ好きの友人の「自分から遠い何処かからやってくる義務感」ということと、無縁ではないかどうか、ということがいえるのではないか、と私は考えます。私達は「時代」ということをあまりにも大文字でとらえることで、思想史的な思想理解と同様の誤謬を、「文化」と「文化ナショナリズム」の混同においてなしているのではないでしょうか。アメリカ文化がいまだに未吸収のまま進行している。繰り返しになりますが「なりきる」ことができなかったことが原因だと私は思うのですが、その原因は何か、ということを考えるとき、「自分から遠い何処かからやってくる義務感」の場所は何処か、ということです。「文化」を吸収する、ということを、7世紀あるいは19世紀の文化的大変動と戦後日本の変動の安穏と比較するに、どうも「時代」ということが、抽象的に独立して、ある種カントの道徳法則みたいな役割を日本人の精神性においてはたらかせているのではないか、と私は考えるのです。
     私は「時代」という言葉をあまり好きではないのですが、「時代」という言葉をあまり意識的でなく使っているとき、私達は「時代」を「歴史」という言葉といつのまにか同義に使ってしまっていることがありますね。つまり幾つかの個別の事象の集合をある程度連結的にとらえたものを「時代=歴史」という意味に限定したのが「歴史」ということなのですが、そのような絞込みをした上で、「歴史(時代)は繰り返す」ということを言う人がよくいます。大体、起こりえないことが起きたときに使う驚きの言葉の一種である場合が多いのでしょうけど、しかし歴史(時代)という人間と事実の集合が神の見えざる手で繰り返す(繰り返された)という事後的な表現と、現在の延長下に未来を支配下におこうとする事前的な表現での繰り返す(繰り返そう)では、この言葉の意味は当然違ってきます。
    たとえば月並みな言い方になりますが、我が国の近代史は欧化政策の成功という、非常に輝かしい成功を「時代」としてもつ幸運に恵まれました。この明治時代の非常に巧妙で実のところ江戸時代の国民文化と致るところで連続性を確保していた欧化政策の「時代」が、ある時点から実は繰り返されているということがいえます。1910年代の大正デモクラシー、1920年代のマルクス主義、1930年代のファシズムと同じパターンを踏みつつ、明らかに違う繰り返しの「欧化」のパターンが生じていくのですね。確かに歴史(時代)は繰り返すという面をもっているのだともいえます。そして大切なことは、その違っていくパターンの中で「繰り返す」が「繰り返そう」というふうに変貌していったことではないか、ということですね。ここにおいて、「時代」ということが、大文字の実体的存在になって、私達に何かの拘束を強いるものになっていくのではないでしょうか。
      反面、明治時代の欧化政策の成功が生々しい人間と事象の集合という生きた歴史(時代)から、ニーチェが言うところの「死んだ過去」になっていくプロセスを感じることもできるような気もします。「時代」が「歴史」という大文字にもかかわらず、内実は「死んだ過去」になって、それが何かの目標になってしまう時、様々な奇妙なことが、不意に現れてくる。ドイツのナチズムもイタリアのファシズムも、古来のある特定の歴史(時代)を目標に掲げて暴走したといえます。日本の場合はその両国のような明確なものとは全然違い、近代の始まりの成功の時代が次第にずれていったところに、いろいろな悲劇があったといえるのではないでしょうか。
      明治初期以来の学問や社会制度の面での現実的なドイツモデル論が、次第にロマン主義的な憧れに転じ、やがて昭和前期の抽象的なドイツ絶対論になっていく。ドイツに関しての情報量はどんどん増えるのに、その把握はどんどん観念的になっていく。やはり何かしらの「時代」が繰り返されている。私には、あれほど東洋人を差別するナチズムと提携することを主張し、それに反する人物に天誅を加えるとまで息巻いた、大戦直前当時の民族派や右翼の人達のリアリズムの欠如をなかなか理解できないのですが、要するに、現実から離脱していく理想化された「ドイツ」というものを、繰り返される「ドイツ」的なるものの観念の輸入の中で、この国の時間の行き先に設定していった、ということなのでしょうね。制度改革や政治改革の本質は、ロマン主義的な幻想とは縁もゆかりもありません。政治にロマン主義を持ち込めば、収容所国家にせよ敗戦にせよ経済破綻にせよ、何らかの形での破滅に直結すると考えるのが自然でしょう。戦前の欧化政策やドイツモデル論が「改革」から本質的に離れていったことと、思想・哲学を本質から離れたファッションとして飲み込んでいることは、同根から生じているといわざるを得ない、と考えるのが自然でしょう。そして私は、戦後のアメリカの文化ナショナリズムと日本の関係というのは、最初からこうした虚しい文化的演技を有したものではなかったのだろうか、と思います。最初から抽象的な「時代」に命令されたことによって進行し、その虚しさがゆえに、いつまでたっても依然として進行している。それが「和・漢・洋」が「和・漢・洋・米」とならない何よりの原因を形成しているのではないのだろうか、と私は思います。ゆえに、根本的意義を見出すことの難しい、虚しい時間が、戦後の大半において流れてきたのだ、ということができてしまうのでしょう。
   荻生徂徠をはじめ江戸時代の儒者の一群が中国人になりきることによって、なりきれない日本人を見出すという逆説的な知的戦略をアメリカ人においておこなう、ということの困難ももちろんありうると思います。たとえば妊娠中絶をおこなう病院があちこちで爆破されるような信じられないような中世ヨーロッパ的保守性ということに「なりきる」ということは、日本人にとってはまず絶対に不可能な精神行為ではないかと思います。ある意味でアメリカほど、中世ヨーロッパの暗黒を身近に感じることのできる国はない。あるいは裁判員制度にしても、アメリカの陪審制度は小中学のときからの激しい自己主張の応酬の習慣というコミュニケーション教育と実に密接なのですが、裁判員制度と小中学教育を結びつけて考える日本の改革論者はまず見あたらないといっていいでしょう。すなわち、困難である、ということより、困難であるという認識自体が困難である、ということなのであって、こういう意味において、私達はアメリカという世界を吸収しすぎどころか、吸収以前の段階にとどまっている、という奇妙な表現が可能なのではないだろうか、と私には思えます。小さな結論をいえば、裁判員制度をはじめいくらアメリカ型の制度改革をしたって、この国に蓄積してきた戦後の徒労感をまた一つ重ねるだけで、何一つ現状の停滞感を打ち破ることにはならないといわなければなりません。






 
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自己主張

メールありがとうございました。
ざっと読ませていただきました。
読書嫌いの私がコメントするには
あまりに知識が不足しておりますが・・・

> アメリカの陪審制度は小中学のときからの激しい自己主張の応酬の習慣というコミュニケーション教育と実に密接なのですが
<

アメリカなどでは自己主張できない人は
障害者扱いを受けるのではないか
という怖さを前から抱いていました。
私は子供のときから(今に至るまで?)
自己主張の出来ない「もじもじ少年」でしたから
アメリカでは、少なくとも
まともには生きてゆけないだろうなぁ・・・
(日本でもまともに生きているとは言えないけれど)
と思ってしまいます。
一方で、障害者と見做され扱われるのなら
むしろ楽だったかもしれないとも
思ったりしていますが(苦笑)

短いコメントで、とりあえず、失礼して
メールのお礼に代えさせていただきます。
また何か書き込みたくなったら書きます。
ではまた。拝。

            戸田聡 不具

戸田聡 | URL | 2007年08月08日(Wed)13:10 [EDIT]


とても興味深く拝読しました。
最初、もう一つのブログはハードルの高さにびびって
しまいましたが、お陰さまで「キチンと読む」という事が出来るようになりました。
人様の意見を聞き、例え僅かでも理解出来る部分を
発見するのは嬉しいものです。

バルおばさん | URL | 2007年08月08日(Wed)21:43 [EDIT]


どうもこんにちは恩義です!

裁判制度が大陸ヨーロッパ型から英米型に近い形に変わるようですね。 うさねこ様はどちらかというと歴史的時間軸を通して文化的そして哲学的背景に立ってその変化を説明なさっていますね。 小生は実利主義を通じて経済構造的な概念が先行して理論づけるでしょう。 要するにこの大陸ヨーロッパ型から英米型の裁判制度に移行することは『官から民へ』の権力の移行を示しています。 元々、政治経済構造における概念において対立しているフランク・ゲルマンとアングロ・サクソンですので、この制度の違いもその政治経済構造の違いを説明しています。 まず、個人主義的な啓蒙思想概念が強く、より市場における成果主義を重んじるアングロ・サクソン文明は陪審員制度を使用することにより官よりも民の意見反映が影響する制度を画一しました。 そして、一方フランク・ゲルマン文明はより個人主義よりも社会主義に傾向している性質があるのか、教育制度における成果主義により選ばれた官僚制度を重視する構えがあり、個人の啓蒙思想よりも画一された国家法体系を優先する制度をしようしていますね。 つまるところは「どのような成果主義を重視するか? そして、権力のピラミッドの構成は?」っということになるのです。 元来、市場と政府との結びつきの強く、個人の啓蒙思想が弱い日本においては、導入するのであれば、大陸ヨーロッパ型が望ましかったでしょう。 そのいきさつについては小生は法律史学にそこまで通じていませんので他言は控えさせていただきます。 ただ、こんかいの制度改革は、やはり『利権の移行』に他ならないでしょう。 

小泉構造改革から日本は『官から民へ』の移行を進める路線に切り替えてきたわけですね。 また、以前のように政府の意向が市場に反映され権利体制でありより閉鎖された日本人および日本的な制度が主体となっていた市場から、今やグローバルスタンダードの波により市場における権利を誇る存在が日本を主体とするものからグローバルを主体とする存在と変貌しているわけですね。 つまり、日本政府と密着している市場権利からグローバル市場と密着している市場権利へと移行するにあたって、元来のより固定的な裁判制度では変化の激しいグローバル市場および日本外との結びつきの強い利権に適応できないという理由がまっさきに小生の脳裏に浮かびました。


>「 「文化的ナショナリズム」ということは何処の国にもあり、厳密にいえばほとんどどの人間にもあります。「日本という国を放棄した」とい う人でも、食事や精神生活で、いっさい「日本」を放棄することができるわけはない。ラディカルな国家主義批判をする日本共産党の人達が、「青々とした空や 水の世界を取り戻そう」というとき、すでにその主張は何らかの形で「文化的ナショナリズム」と無縁ではありません。「文化」という言葉は普遍的かもしれま せんが、「かけがえのないもの」というものを持ち出したとき、愛情という個別性が普遍性にかぶさり、文化的ナショナリズムを形成する、といえましょう。近 代的制度がこの文化的ナショナリズムにかかわる倒錯も、国によっては当然に生じてきます。アメリカ人の民主主義崇拝ということはよく言われますが、陪審制 ということは、そういう文化的ナショナリズムの一要素ということになります。彼らは決して自己批判的に陪審制を批判することを厭わないですけれど、しかし 根本的な解消ということはほぼ絶対に考えない。要はこのシステムがアメリカという国の体の一部である、すなわち「アメリカニズム」一部分である、というこ とだからです。 」

『日本という国を放棄した」という人』ってのは小生のことですね! 小生の社会尺度哲学概念においては共産党のそれに近い(経済構造においてかなり対立しているが)ですね。 ナショナルよりもインターナショナルっていうんですかね、日本っていう国家の持ち物だと見られることに抵抗があるんですよ。 ですから、自分自身のアイデンティティは常に『地球人』でいたいと思うのが小生の心情でございまする。 食事の変化とうものには人それぞれでしょうね。 まあ、たぶんそこらへんが日本から脱却できるかどうかの最初の試練になりますね。 あまり食べ物の好き嫌いが無く食いしん坊な小生はわりに外国にての食生活の適応が早かったですね。 むろん、近頃のよのなかでは大半の先進国において多種多様な食品が手に入るようにもなりましたから、いざ日本食が恋しくなればそういう駆け込み寺があるのも然りですがね。 やはり日本へのホームシックが強くなる人の大半が食事に由縁する部分が強いですね。 ここで小生が今だ脱日本を目指している背景としては、食事の大半が日本離れしてしまったところにありますね。  まあ、最近はフラットメートが小生のためにグラスゴーの東洋食品街から日本米の大きなサックを一つ購入してきてくれましたから、日本米も手軽に食することができますが、以前までは、パスタやポテト、外国米を食する機会がかなり多かったです。 精神文化において、これは日本人特有の外国文化への適応能力の高さ故に、あまり弊害にならない部分ですね。 ここらへんは、やはり日本人としての逆説的なアイデンティティになるのでしょうか、母国文化から距離を置いて郷に従うことに抵抗が無いところがやはり日本人なのだという理論ともいえますね。 西尾幹二先生の書物である『個人主義とは何か?』において、日本人は個人や集団ということを歴史上において比較的意識する機会が少なかったゆえに個人が非常に強いと説いていましたことを思い出します。 

それと、男女関係においても、小生は日本でまったくモテナイどころか日本人女性から殆ど差別的罵倒愚弄をくらい続け小学生のことはリンチにまであったぐらいですから、別に日本の文化圏にて生活を営むことに抵抗がないどころかむしろ歓迎しているのですよ。 もともと女性にモテルほうでもなく女性に対して余分な気配りをするのが嫌で、最近のよのなかは女性を甘やかしている傾向があると信望しております故、女性から普段の生活で相手にされなかったり少しぐらい差別的に見られても日本にいた頃よりかはマシと思うんですよ…。 まあ、付き合いなどのプロセスをすっぽかして金銭とともに女性との肉体関係だけを、自分の肉体と精神の健康の維持および3大欲の一つを補うために、持つことを望む小生としては、それが良識な値段で円滑に安全にできる場所を選びたいのですね。 そこで、日本という選択肢が抜けるわけですね。 

そして、小生はなによりも『自己中心主義』は道理にかなっていると説きますので、自分がよければ他人を抑圧するのもまた義務であると主張しています! たとえば、今現状の日本で満足している人人が多数派でも、小生は今の日本の社会を洗浄せんがためにクーデターが起きることを望んでおります! もし、小生が日本に居る理由があるとすれば、天変地異を促す浄化措置を日本にもたらし、自分が正義と確信した主義を神より選ばれた思想として世に普及することを切望します。 人類すべてはエゴイストであるべきで、すべての対立する正義がぶつかり合う社会が理想なのです。 つまり、個人が自己主張を可能な限り極限まで貫き通し合うことで、エゴが衝突しあい、最終的な理想形態として100%一人個人のエゴを満喫させることがなくとも7,8割のエゴを貫き通すために100%のエゴを貫く覚悟で世の中に抗議するべきなのですよ。 正しいものは神が選ぶのですから、己が俗欲と大儀を胸に邁進していけばその課程で生まれる利益は膨大です! それに他人同士が激しい対立を起こしてくれれば、その課程で相互のエゴ対立を利用したビジネスが設立でき、マッチポンプ方式でそのビジネスから産まれる利潤が小生のエゴを満たせる可能性だってあるのです。 そして、そのエゴの対立をより安定的にして、社会の個人すべてのエゴを最適化させる暴力装置が市場であり価値の物差しとしての金銭なのです! このエゴを市場という暴力装置に委託することで、そのエゴの紛争をより安定な方向に制御できるのです。 つまり、女性の体が手に入らない→強姦するか?!→しかし買春できるならばそのエゴの制限は破られ社会的混乱は避けられるという理論です。 「買春できなければ強姦するしかないんじゃないか?!」=「世の中気に食わなければ、ぶっ壊すしか、逃げるしかないんじゃないか?!」という直結した理論が成り立つのです。 

………さて、なんかこの文章の本題から外れそうになりましたので、また本文の感想へもどります:
>「ケインズが提出した理論の何が「時代遅れ」になったのか全く判然としないまま、反ケインズの獰猛な嵐が、この国に一時期吹き荒 れたのですね。しかしケインズの経済学理論が「時代」によって遅れたものになったかどうか、ということは、ケインズの経済学にとっては少しも本質的でない ことは、近代経済学の流れの真髄を吸収された方にとっては誰しもお分かりのことではないか、と思います。 」

これはミクロ経済とマクロ経済を理解できているかどうかも問題になってくるんですよね…。 そもそも経済学をオーケストラで例えるとミクロ経済をそれぞれ個々の楽器や声のトーンを演奏する技術を学ぶこと、そしてマクロ経済は入り混じる楽器や声のトーンをいかに調和させそれを理解することと指揮することを学ぶことにたとえられるのですよ。 また、ミクロの政治において左右の定義が『社会を容認的にして経済活動に規制を引くVS社会規制を強化し経済活動に容認になる』となり一つの国家および社会圏のみを凝視した場合の定義ですが、マクロな政治においては『天皇制廃止VS天皇制庇護』っていう形になり他国家間もしくは社会的価値感(宗教など)を含めて考察する、つまりは制度そのものについて語るのです。 ここで、日本人が大きな間違いを犯したことは『ケインズ=大きな政府、反ケインズ=小さな政府』と定義してしまったことです!! 本来、『大きな政府VS小さな政府』というものはミクロの定義であり、『ケインズ理論VS反ケインズ理論=新古典主義』というのはマクロの定義になるわけです! それは中央集権的な経済行政(イギリス、フランスなど)においてはケインズ理論が、より地方分権的/連邦制度に則した経済行政(ドイツ、スウェーデンなど)においてはマネタリスト理論(新古典派の一派、反ケインズ派)が有力になる傾向があることが物語っております。 ここでマネタリスト理論がより応用されているドイツやスウェーデンがイギリス以上に公共機関および社会福祉が大きいつまりは大きな政府がマネタリスト理論を適応しているところを見ても解ります。 そしてイギリスとフランスは双方ともにケインズ理論が有力ですが、イギリスが伝統的に政府が巨大化せず経済における個人主義を徹底しているところから、ケインズ理論が常に社会主義的であるという間違いに気が着くはずです。 そもそも、ケインズ派経済学とは、『マクロ的判断』の重要性を始めて説いた経済学でありまして、その反ケインズ派の旗揚げをした新古典派の流れを組むマネタリストや合理的期待論は『ミクロ的判断』は『マクロ的判断』より重要視されるべきだと説いた学派を意味します。 そして、事の醍醐味は経済学において、このマクロ経済理論の2流派において世界の学閥同士の対立はあるものの、一般のエコノミスト達にとってはこの一極単なクリアカットはあまりないんですよ。 ここが政治哲学との大きな違いの一つかと思われます。 


>政治にロマン主義を持ち込めば、収容所国家にせよ敗戦にせよ経済破綻にせよ、何らかの形での破滅に直結すると考えるのが自然でしょ う。

小生のコメントにて政治的ロマンティズムを押し出した主張を少しばかし持ち出しましたので矛盾しているように聞こえますが、この意見に関しては非常に納得がいきますね。 たとえば、共産党にしろ維新政党・新風にしろ政治的ロマンティズムを用い熱烈に誠意に満ちた理論を展開しているのですが、果たしてその政策が『犠牲を伴わずにして』ことに経済もしくは社会の問題を解決できるのかという結論に達するでしょう! たとえば、共産党にしてみれば、公立教育機関の授業料無料を公約で主張しているわけですが、裕福層の比較的教育機関にての成功が期待される被教育者達が私立教育機関に流れ込み、公立教育機関の被教育者の平均的な教育機関にての成功率が下がる可能性があることを考察しているかどうか疑問に思います。 また、維新政党・新風は非常に公約においては日本を憂う響きの良い主張を掲げているのですが、美風が先駆け具体的な公約の執行手段を明示しそこねている背景があることも然りです。 

小生は天皇制よりも共和制を推しているわけですが、これはあくまで日本非難の象徴的対象としての天皇一族非難であり、政治をマクロで見たときの制度の転換という側面で議論しております。 ですから、中核派や革マル派のような理想のみが先行したお遊びで終わる気はありませんし、オウム真理教のようなポルポト政権のような非合理的反動主義に陥り現代国家体制そして個人の多数派の俗欲および市場という名の安定した暴力装置の扱いを無視することも否定します。 


>「ある意味でアメリカほど、 中世ヨーロッパの暗黒を身近に感じることのできる国はない。あるいは裁判員制度にしても、アメリカの陪審制度は小中学のときからの激しい自己主張の応酬の 習慣というコミュニケーション教育と実に密接なのですが、裁判員制度と小中学教育を結びつけて考える日本の改革論者はまず見あたらないといっていいでしょ う。」

おそらく、学者の意見動向よりも、経済組織および政治体制の利権交代が問答無用で裁判制度を改革しているのでしょうね。 そこで、制度改革以前に教育や文化を優先して考察するか、制度改革につれて教育や文化が変わっていくか、どう考察するかですね…。 

恩義(Oblige) | URL | 2007年08月10日(Fri)00:13 [EDIT]


近代日本

明治から戦前にかけて、日本はアイデンティティの喪失に苦しみました。欧州を見習わなければならない。アジアにとどまれば植民地になってしまう。しかし、自分のアジア性は逃れようもない。半端なバナナ(外は黄色、中は白)になるのも良くない。
そういう葛藤と劣等感がありました。ドイツ派が多かったようですが、英米派もいました。何かモデルとなる国を発見できないと落ち着かない状況があったと言えます。
戦後はアメリカがその不安を解消してくれる存在でした。一部ではソ連でしたが。とりあえずアメリカに倣ってけば安心だ。そういう感覚があったのだろうと思います。

日本の自己に対する不信。それは明治から始まっているともいえます。何かに倣わなければ自己が維持できなかった。しかし何かに倣いすぎては自己が溶解してしまう。常にその葛藤の繰り返しであったように思います。

さて、戦後のアメリカ盲従はそろそろ克服されなければならないと考えます。「信じるべき場所」を、他国ではなく己に見つけ出さねばならないと思っています。

日本人こそ、今日本を見つめる必要があるのです。

耕 | URL | 2007年08月11日(Sat)00:27 [EDIT]


裁判員、遠慮したい

お久しぶりです。コメントが少ないようなので、個人的なことですが・・・
裁判員にはなりたくないです。病気か何かの理由で断れないものか・・・と思うくらいです。理由としては、
1)前のコメントに関係しますが、裁判員はディベートに慣れた良識(?)ある人になってほしい。私は自信がありません。
2)「人を裁く」ということに恐れを感じます。クリスチャンだからということではなく、個人的に怖い感じです。映画「グリーンマイル」みたいなことにでもなったら、という気持ちです。
3)ずっと前のコメントに関係しますが、人為的死刑に反対です。死刑と無期懲役の間に大きなギャップのある現行刑法に反対です。
 ・・・というところでしょうか。
個人的なことばかりですみません。拝。

             戸田聡 不具

戸田聡 | URL | 2007年09月24日(Mon)08:00 [EDIT]


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| | 2007年12月04日(Tue)19:08 [EDIT]


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| | 2007年12月06日(Thu)13:08 [EDIT]


 
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