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日本人のアイデンティティ・2

「日本人のアイデンティティ」の問題を、もう少し掘り下げて考えてみましょう。
様々な捏造や誇張がありますが、中国の反日教育で最も苛立たしいのは特に「日本・ドイツ類似論」ではないかと私は考えます。日本人とドイツ人は似ていて、似ているがゆえに、二次大戦で同盟した、というお話なのですね。イタリアやフィンランドも枢軸国のメンバーでしたが、なぜか「日本・イタリア類似論」「日本・フィンランド類似論」というものは、語られません。
この子供じみた反日教育講話には必ず続きがあって、「ドイツは謝罪したが日本は謝罪していない」というお決まりのお話になるのですね。「類似論」を語る人間にはその成立の根拠などどうでもよく、その成立がかかわる作為がどうも問題なようです。日本国内の左翼勢力も、全く無根拠に、それらに迎合しました。さすがに日本国内でこのドイツの話を反日論に結びつける考え方は最近少なくなりましたけれど、しかしこの「日本・ドイツ類似論」が戦後の日本人に与えた影響力というのは少なくありませんでした。私もよく、中学・高校の時代、この日独類似論ということを授業で聞かされたものです。
この日独類似論の唯一といっていいほどの根拠は、集団主義的生真面目さが日本とドイツ(ゲルマン民族)にある、ということのようです。しかし、「集団主義的性格」というのでしたら、ソビエト期のロシアにおいてそれを見出すことも、充分可能であるはずです。通俗的レベルの比較論でも、島国である日本と大陸国家であるドイツの違いというのはかなり根本的であるはずです。規律正しさということでしたら、イギリスの規律正しさも有名で、ドイツの政治制度よりもイギリスの政治制度の方が日本に類似していますから、日本・イギリス類似論というのは成立しやすいのではないかと思いますが、なぜかそういう類似論は語られません。
第二次大戦の経緯を追えば、類似論の成立を目論んだ人達の意思に反して、日独類似論は一層成立が困難になります。日本はドイツのようにユダヤ人やスラブ人の計画的大量虐殺をおこなっていない、戦後ドイツ政府はしたたかにも「ナチスという団体を選んだこと」について謝罪賠償したけれど実は自分たちそのものの責任は一度も認めたことがない、三国同盟交渉の過程でドイツいったん日本を裏切り、ソビエトと不可侵条約を締結した、等々、事実的反論はいくらでもすることができると思います。結論的にいえば、日独類似論はそれを分析すればするほど、それが幼稚な作為であることが判明してしまうと思います。
大体、「類似論」というのは、国家論としては無意味です。たとえ「類似」が成立したからといって、いったいどういう感情的結論が得られるのか、ということです。たとえば先述したフィンランドやトルコの親日感情にしても、彼らはロシアに苦しんだという共通体験をして日本に「共感」しますが、それをさらに日本に「類似」ということにまでエスカレートさせることはありません。どう考えても日本人の「類似好み」の方がおかしい。そして「成立しない」という指摘の正しさを考えるとともに、私はもっと根本的なところ、なぜ「ドイツ類似論」というような考え方が日本で影響力でもってしまったか、ということを考える必要があると思います。ここには「アイデンティティ・起源探し」大好き、という日本人のナショナリズムの、アキレス腱といっていいほどの問題があります。そのアキレス腱に気づいた誰某が仕組んだ反日ファンタジーが「日本・ドイツ類似論」だった、といってよいわけですが、こういう反日ファンタジーがいかに悪質であるか、ということは、結論から事実を再構成してしまうことにあります。
再び、古代史に話を戻しましょう。たとえば戦後、日本世間一般に与えた影響力が最も大きい学問的仮説の一つに、「騎馬民族征服説」というのがあります。ご存知の方も多いかと思いますが、これは東京大学の江上波夫教授が戦後まもなく唱えた非常に大胆な古代史学説で、彼は神武天皇と10代の崇神天皇を同一人物(すなわち崇神天皇=初代天皇)とみなし、騎馬民族王であった日本の天皇家(崇神天皇)がモンゴル・朝鮮から移動してきて九州に渡り、その後応神天皇(15代)の時代に近畿地方に移動東遷し、次の仁徳天皇の時代になり現在の大和朝廷の原型ができあがった、とする歴史学説です。非常に大胆ですが、江上説の根拠はきわめて乏しく、学問的には全くの少数説といわざるをえないのですが、「日本人の起源は大陸に由来する」というアイデンティティ神話は、その後、姿形を変えて、世間一般に異常なほどの影響力をもつにいたりました。しかも、この江上説は江上氏自身の真摯な探求意思から離れて、日本人の起源が朝鮮半島に由来する、という奇怪な俗説にさえ変貌してしまいます。騎馬民族征服説の目指すところは日本の「起源」はモンゴルである、ということなのですから、騎馬民族征服説が流通する過程で、様々な作為が左翼イデオロギーの方から、悪意的に施されたということを感じなければならないと思います。そしてそういう作為が成立してしまうところに、「起源」探し好きな日本人の非常に特異な個性を感じることができるといえると思います。
以前にも言いましたが、日本人の古代史好きは決して古代そのものをリアルに把握したいがためのものでなく、現代の日本人の起源を知ることがナショナルアイデンティティだから、なのです。「勝者による歴史の書き換え・偽造・誇張」が中国人の歴史観であるとするなら、「果てしない自分たちの起源さがし」が日本人の歴史観でないか、といえるくらいですね。大体、朝鮮半島に国民文化が成立するのは日本よりやや遅く、「成立していない朝鮮文化」が日本に影響を与える、ということ自体が論理矛盾です。また、7世紀以前の朝鮮の文献は実証性に問題のある日本の歴史文献よりもさらに実証性を欠きますが、あえてそれに依拠したとしても、朝鮮半島から日本列島に渡り、「朝鮮型王朝」をつくった人はよほどの大人物として朝鮮で伝説化しているはずですが、それに該当する人物を見出すことは全く不可能である。こうした根拠の欠如の問題をすべて無視し、江上説はさらに原型をとどめないほどに俗説化してしまい、今では「日本文化は朝鮮文化の模倣である」という杜撰な歴史認識の「根拠」にさえなってしまっています。ここまでくるともう架空小説のレベルで、ひどい話になると聖徳太子が大陸から渡ってきた王子だという説が(一歴史学説として)存在しますが、これほどおびただしい「起源説」を可能にしてしまうほどに、私達は「アイデンティティさがし」を必要としてしまう、という傾向にあるということができると思います。
これがいかに全体的傾向といえるかということは、歴史学だけでなく言語学の分野でも「起源さがし」がいつまでもひどく盛んだ、ということからしても明らかです。例によって朝鮮語やモンゴル語との類似点をさがすという比較研究から始まり、膨大な「起源さがし」が言語学の世界でおこなわれてきましたが、ついに「起源」についての確証は琉球語を除いては得られませんでした。不思議なことに、この確証が成立したにもかかわらず、日本人あるいは皇室の起源が琉球である、ということは、ほとんどいわれませんでした。「作為」が存在しなかったのですね。「類似論」が日独類似論以外の類似論を排除するように、「起源論」は大陸起源論以外の起源論を排除するという結論先取り作為によって成立している、ということですね。大体、「言語」というのは歴史以上に相互の言語間の「前後の因果関係」が不明で、たとえ類似や影響が見出せても、ただちに「起源」であるということの根拠にはなりえませんね。しかし言語学でおこなわれている日本語の起源さがしは、歴史学上に、方法論上の短所を軽視して継続されているのが現状だといえるでしょう。或る哲学者は「言語学こそがナショナリズムをつくりやすい」といいましたけれど、「起源」が日本人のナショナリズムにどうしても欠かせないものであるとすれば、その言葉はなかなか正しいものを語っているというべきでしょうね。
ここまで考えると、もはや「起源」という意味が定かでなくなっている、とさえいえるほどなのですが、アイデンティティさがし、起源論に拘るというのは、はっきりいって意味のない徒労なのですね。「起源は実証できない」ということでいったい何が悪いのか、ということです。起源が実証できないから、日本人としてのナショナリズムが揺らぐということはおかしいのです。調べてみると、これは明治期に顕著になってきた日本人の癖であることがよくわかります。自虐史観ほどでないとしても、日本人の不思議な精神性の一部であることは明白ですね。「日本文明」というのは一言で言うと、アジア世界で全く独自の展開をとげてきたものであり、本質的な意味での「仲間」は世界のどこにもいない、ということなのですが、そのことの「寂しさ」に気づいた明治期の日本人は、いつの間にか起源論の虚構をナショナリズムの一部に組み込む、ということを癖にしてきたのですね。「日本・ドイツ類似論」は起源論ではありませんけれど、やはり起源論に類似した「寂しさの埋めあわせ」の一種であるということができます。「類似のファンタジー」はたとえば「騎馬民族征服説」をノルマンコンクエストになぞらえ、フランスとイギリスの関係を騎馬民族と日本の関係に「類似」していることを見つけだして「安心」する、という説すらあるようですけれど、ここまでくると、起源論や類似論がどうも私たち日本人の「弱さ」からでている、ということがよくわかるのではないでしょうか。
「起源が実証できない」のではなくて、「さかのぼれる時代までしか起源はさかのぼれない」だけのことなのですね。先述しましたように、中国文明は揺るぎない「起源」をもっていると思いがちですが、決してそんなことはありません。人類が誕生したアフリカまでいきつかざるを得ない、ということは極端だとしても、世界四大文明に時間の戦後はもちろんのこと、「相互影響」があるのは確実ですが、だからといって「起源」がどうとかと考えることは意味がないのですね。
「起源さがし」がファンタジーのうちはいいですが、それが皇室の問題についての話になると、その作為の悪質さは無視できなくなります。たとえば、騎馬民族征服説の悪用の典型例というべきですが、日本において、連続性が問題があるといわれている継体天皇以前、存在実証性が問題あるとされている仁徳天皇以前の天皇の存在の「不明」にミステリーを勝手に感じて、すぐさま「大陸からの移動してきた」天皇の物語をフィクションして、いちいち大騒ぎする。私にいわせればたとえ皇室の歴史が仁徳・継体からだとしても、日本の天皇家は単一の王朝としては完全に世界最長であって、そのことを評価することが何より大切です。そしてそれ以前、初期王朝の十数人の天皇に関しては確かに文献上、不明な面がある、ただ神話上はこういうふうに物語的に説明されている、しかしこの神話は私たちが使う意味とは違う意味で「本当の世界」なのだと穏健に教えればいいだけのことではないか、と思います。「起源論」に苦しむということはやむをえないとしても、「起源の不在」により、皇室の歴史などに関して、日本人としてのアイデンティティ不信に陥るというのはとんでもないことだと思います。
繰り返しになりますが、日本は世界で全く独自の文化圏を形成せざるをえなかった、それは「寂しい」ことではなくむしろ「誇り」と考えるべきことである、世界のどこにも類似している文明も国家もない、そして起源はわかるところまでしかわからず、それ以前のことに関しては「わからない」とあっさり考えること・「神話」という複雑な意味での「事実」の双方を、広い意味での「起源」と考えればいいのではないでしょうか。ドイツとの類似論の悪用にみられるように、類似論や起源論のファンタジーに「反日」論がしのびよる可能性があるのですから、近代日本人の「寂しさ」の克服ということは、「反日」を考える上でも重要なテーマになると思います。
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こんにちは、
歴史について考えてみました。我々は、過去を確かなものと思いがちだけれど過去ほど不確かなものはないと誰かが言っていました。
未来と現在は、確認のしようがあるが、過去は、確証のしようがない。歴史は、創作だと・・・。しかし、我々は、学校で、歴史をあたかも自然の法則のように教えられてきました。それも、生々しい生きた歴史ではなくて骨と皮のような。養老孟氏に言わせれば、スルメのごときものなのでしょう。
スルメのごときものを説明されても生きたイカのことは理解できない。
歴史を学ぶ時は、用心深さが必要だと痛感しています。

小谷野です。 | URL | 2006年11月02日(Thu)17:37 [EDIT]


リンクの報告

丁寧なメールをいただき恐縮です。
とりあえずブログの方にリンクさせていただきましたので、その旨報告させていただきます。
今後ともよろしくお願い致します。
それではまた。

http://imperialarmy.hp.infoseek.co.jp/

槍栗中尉 | URL | 2006年12月07日(Thu)20:27 [EDIT]


こんにちわ。

 ちょっと寄ってみました。やはり今の僕の脳では読みがたいです。v-11
 しかしノンタンさんにいつもコメントをされている小谷野さんは何者なんですか!?

小島 | URL | 2006年12月09日(Sat)21:44 [EDIT]


はじめまして。「歴史と日本人」管理者の耕です。
メールありがとうございました。詳細な議論を展開なさっているのですね。私も見習いたいぐらいです。

リンクを貼らせていただきますので、よろしくお願いします。私のブログのほうにもぜひコメントをよろしくお願いします。

耕 | URL | 2007年01月12日(Fri)21:58 [EDIT]


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| | 2012年01月22日(Sun)20:26 [EDIT]


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| | 2012年01月22日(Sun)20:48 [EDIT]


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| | 2013年04月04日(Thu)22:27 [EDIT]


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| | 2015年09月22日(Tue)01:23 [EDIT]


 
 

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