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「世界対立」とは何か

私はちょっと変わっている人間なのか、早く齢をとらないかな、といつも考えているのですね。
それなりの精神的努力をすれば、年々ものごとの考え方が深くなっていくような気がするからです。死に近づく恐怖はどうするんだ、といわれるかも知れませんが、セネカが言ったように、若いころの方が、死を確信しないがゆえにずっと死は身近であり、老年になればなるほど、死を確信するがゆえに、死はなかなか身近にならない、という精神図式もまた成立すると思います。このまま80歳や90歳になったらどれだけ自分が深くなることができるか想像するだけでゾクゾクしてくる。今よりずっと考えが浅はかだった今より若い頃に戻りたいとは、どうしても思えない。
しかしそんな変わっている私でも、昔の方がよかった、特に子供の頃がよかった、子供が羨ましいな、と思えて仕方ないところがあります。それは世界への「恐怖感」ということなのですね。「世界を怖い」と思えることだけは、齢を重ねるとなかなかできなくなってきてしまいます。世界から怖いものがいなくなってしまう、ということは好奇心や考え方にとって、あまり好ましいことではありません。「世界を怖い」と思えなくなったことは、「大人」になったことを意味するのでは断じてありません。本当はそれこそが、「老い」そのものではないか、と私には思えます。
羨ましい、戻りたいと思う気持ちは同時に、今の子供たちが可哀想、と思えて仕方ないことでもあります。「私達の世界がどんどん怖くなくなってしまっている」のではないか、ということを感じるからですね。では私たち大人が全く「怖い」ということを感じないかというとそういうことでもなく、何かが不安で仕方ない、という面も確かにある。私たち「大人」が時々感じる、この世界への得体の知れない不安感、私はその不安感の本質のある部分は、実は不安や恐怖というものを失ってしまったこの世界が、今まで経験しなかったようなすさまじいぬるま湯の時間にさしかかっている、というふうなことなのだ、と感じなくてはいけないと思います。
「すさまじいぬるま湯」というのは何となく矛盾めいた言い方ですが、「すさまじい退屈」と言い換えてもいいかもしれません。私達の世界はもう、子供達に不安感や恐怖感を教えることができなくなってしまっているのかもしれない、ということが実は一番恐ろしいこと、不安を感じるべきことなのではないでしょうか。
怖くなくなってしまった「大人たちの世界」はどうして怖くなくなってしまったのでしょうか。このことを考えるとき、或る有名な日本の小説家の「人間の精神は絶対的に敵ということを必要とする。従って敵を失った人間の精神は信じられないほどに衰弱していってしまう」という言葉がどうしても思い出されます。この言葉ほど、私達の世界のどんよりとしたものをずばり言いあてている言葉はない、というべきでしょうね。
戦後日本の最大の幸福、それは間違いなく日本が社会主義国にならず、あるいは分割されることなく、自由主義陣営にいることができた、ということですね。それでは不幸の反面の「最大の不幸」ということは何だったのでしょうか。私に言わせればそれはこのサイトで何度も繰り返してきたように、神話の不在化やら教育の混乱やらで「国民の精神」ということを見失ってきた、ということに他なりません。私達は国民や国家がほぼ存在しない奇怪な憲法体制の中に生かされてしまっているのですね。それをどう考えるべきか、あるいはどうすればいいか、ということはこれまで何度も述べてきました。しかしそんな中でも、社会主義に取りこまれてはならない、社会主義ということはおぞましいものであり私達の世界の「敵」である、という最低限の良心は確保され続けてきた、といっていいでしょう。その社会主義国家勢力は二十世紀後半の政治状況を通じて、ほぼ完全に破産を余儀なくされました。猛威をふるった私達の世界の「敵」が自己崩壊していったのですから、私達は手放しで喜ばなくてはいけないのですが、喜びたい反面、どうも喜べないところもあります。それは社会主義の「破産」ということは同時に反社会主義勢力の「破産」、社会主義の魔の手にきちんと相対してくれていた人たちへ、敵の不在という名の深刻なニヒリズムをも呼び込むことになってしまったのですね。
キリストを信じる人たちが、悪魔というキリストに対抗しうるような冷徹なリアリストをどうしても必要とするように、自分たちの世界の正統性を主張するためには、二元論的世界をどうしてもフィクションしなければならない、という逆説が存在するのですね。
その小説家が誠実に言おうとしたことは、人間というものがおそらく永遠に背負わざるを得ない、大変な不条理のことなのですね。「精神の衰弱」というその小説家の言葉が果たして何を言おうとしたのか、定かではありませんが、二十世紀末のあの喜ばしい世界中での政変以来、なぜか勝利した私達の世界が日に日に緊張感を失ってきてしまっているのは、どうも事実といわなければなりません。私達は私達の世界を吸い尽くそうとする悪魔の不在に悩んでいる、というおそろしく奇怪な、しかしおそろしく本質的な危機に直面しつつあるのです。先進国に挑戦しつづけるイスラム勢力の存在があるじゃないか、といわれるかもしれませんが、私のみたところ、彼らの勢力というのはかつての社会主義国のように、世界を制覇してしまおう、という悪魔的な迫力には大きく欠けるところがある、といわなければならないでしょう。そしてこれは国民国家(日本)の問題とは一応は区別されるべき別の問題、多くの先進国に共通するインターナショナルな問題である、というべきでしょう。
小説家の言葉には続きがあって、「だから僕は自分の精神のために敵を無理にでもつくらなくてはならないのです」というさらに矛盾した表現に移るのですが、彼ほど強靭な精神力をもっているわけでない私に言わせれば、「敵」や「対立軸」ということは、決して血みどろの闘争からリアクションを受ける、ということばかりを意味するのではない、と思います。「敵」や「対立軸」があるということがそのまま私達にリアクションを与えてくれる、そこから普遍的なことを教えてくれる、という意味でのリアクションもあるのですね。そういうふうに修正すれば私は彼(小説家)の言葉に充分同意することができます。なぜなら私は(私達の世代の子供は)まさに敵がある、ということそのものから大きな精神的養分を得た子供達だったからです。
私達の子供の時代(80年代前半)は今に比べてはるかに「平和」ではありませんでした。アメリカとソ連の対立が「核戦争の恐怖」の暗い影を子供の世界におとしてしました。不安と恐怖に満ちた時代だった、といってもいいでしょう。あの恐怖感は決してニヒリズムというようなものではありませんでした。子供たちにとって「虚無」を感じられるほどに世界が実在的ではなかったからですね。しかし何かとてつもなく大きい「魔」としか言いようのないものが、そっとやってくるのです。祖父母が語る幽霊よりも怖い、理科の授業で語られるどんな偉大な科学的現象よりも怖ろしい、なぜならばこの世界が一瞬先、家族や友人もろとも滅びるかもしれない、という世界の究極の恐怖が「核戦争の物語」にはあったからですね。そんな世界に私達はいつもさりげなく放り出されていました。垂れ流し、といっていいほどのドキュメント、シナリオによる「核戦争の物語」の洪水が子供に与える計り知れない影響ということを、大人たちはどう考えていたのでしょうか。現代の子供たちがどっぷり浸っているネットゲームの世界に「殺人」が頻繁である、といって騒がれていますけれど、果たして「滅亡」という全人類の「殺人」が彼らのゲームの世界にあるのかどうか。私達の子供時代の方が、よほど過激な精神体験をしていた、と考えることは決して不可能ではないように私には思われます。
今でも当時の友人と笑いあうのですが、たくさんの思い出が、その恐怖感のまわりに、清清しいほどに残っています。世界が滅んでしまうのならいっそのこと集団で家出しよう、と考えて家出先を紹介してくれる「家出相談所」を電話帳でさがしてみたり(笑)授業中、前日の核戦争のドキュメントをみたその恐怖感だけで、一日中泣いているクラスの女の子がいたり、また「世界滅亡」の話になると安直な平和主義をすぐに語りだす教師もいたのですが、子供である私達には「平和主義」ということがよくわかりませんでした。いろんなことを必死で考え、そしてそのことだけは段々わかってきて、もしかしたらあの頃の唯一の遺産なのかもしれない、と思うのですが、「どんなに楽しいことにも突然終わりがくるのかもしれないんだな」というこを書いて、それを何となく文章にして発表して、クラスのみんなの白けた雰囲気に恥ずかしい思いをした、という経験ですね。恥ずかしいことですけれど、それは核戦争の恐怖ということが私に書かせてくれた文章であるのは間違いないことなのです。世界が不意に消えてしまうかもしれない、という焦りの気持ちが落ち着くと、不意にそんな気持ちになれたのです、家族も友人も、いつか「死」という段階を通じて永遠にしかも不意に別れなければならない、ということを子供は実はまだよく理解できていません。しかし全人類の「死」ということを教え続ける核戦争の物語は、人間の関係の不条理ということを、私にあっさりと教えてくれたのですね。これは「核戦争の恐怖」が私達子供を育ててくれた、ほんの一例だと思います。同年代のドイツ人留学生の友人がやはり私と同じ精神体験を彼の幼年期にしていた、そしてドイツでもそういう風潮が存在した、ということを知ったとき、私は心底、ああ、あの恐怖というのは日本の問題だけでなかったのだな、と感無量の思いでした。今になって考えてみれば、予感された「全人類の死」が、死の本質である「個体しての自分の死」を忘れさす、祝祭的なものだったかもしれない、と思います。しかし全人類の死=個体の死という図式も成立するのですから、やはりあの恐怖は、おそろしく根源的なものだったといえると思います。
「もしも囚人に、一つの手桶の水を他の手桶にあけ、それをまた逆に始めの手にあけたり、砂をかいたり、あるいはまた、土の山を一つの場所から他の場所に移し、それをまた元に戻すというようなことをさせたら・・・囚人は4、5日も経ったら首を吊るか、でなければそんな侮辱や苦痛から逃れようと思ってどんな罪でも犯すだろう」というドストエフスキーの言葉がありますけれど、私達は単調ということ、退屈ということにはどうしても耐え切れないのです。世界が平和になればなるほど私達は怖ろしいほどに退屈し、その退屈を「未知の不安」を感じてしまったりもしてしまうのですね。あるいは恐怖感を知らない子供達の怖ろしさ、という教育的な問題も関係してくるかもしれません。いずれにしても「永遠の平和主義」は決して人間の本性ではない、と言わなくてはいけないでしょう。もちろん「核戦争の物語」が流通していた時代はもしかしたら非常に極端な時代、時間だったのかもしれません。しかし恐怖や不安が存在しない、子供にさえ怖がられない、不安がられないこの平和な、すなわち単調で退屈な、「悪魔」ですらいなくなった時代に私達は生きなければならない、という運命を抱えているのですね。「対立」や「敵」を失ったこの世界に失望して、つまり「平和」に絶望して、ただそのことだけで自殺する人間がたくさん現れても、決して驚くに値しません。ドストエフスキーが言うように、それこそが人間の真実だから、なのですね。
もしそういったものを感じているのだとしたら、「私は得体の知れない「不安」というものの本質を、とりあえず、そういうふうに理解します。「無理にでも敵をつくらなければならない」という小説家の矛盾した言葉が人間性の苦しい真実を言いあてている、と言いましたが、それに倣っていえば私達は「世界の恐怖をもう一度作り直さなければならない」といわねければなりません。その矛盾に満ちた人間観に基づいて、私達は、国家、伝統、家族といったものの復権を考えていかなければならない、ということになると思います。ですからこのサイトのテーマである「反日」の問題、私は実は「親日」や「反中国」を含んだ広範なテーマだと思うのですけれども、そのことも、中国あるいは北朝鮮という横暴きわまる国が消滅したのち、脱力してしまうような中国批判ではいけないのですね。普遍性への緊張感をはらんだ批判でなければなりません。たとえば、なぜ社会主義という理想が世界に現れたのか、「未来」ということへの浅はかで怠惰な依存がその原因だとしたら、二度と社会主義のようなディストピアを生み出さないように、私たちは「ユートピア」というものを考える、いくつかの了解をきちんと得なければならない、というふうに、政治の世界でのビジョンを考えていかなければならないでしょう。退屈しのぎの域をでない批判は、批判対象の消滅により、一層のニヒリズムを批判者にもたらしてしまいます。
あまりにも漠然とした問題意識なのかも知れませんが、つかみづらいそれこそが、世界政治のこれからを考える上で、最もおそるべき問題ではないだろうか、と私は思います。
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| URL | 2006年10月20日(Fri)20:00 [EDIT]


 ここれ記されていることは非常に根本的なことだと思います。深い感銘を受けました。
 私は教職の場にいるものですが、ぜひ、ご教示お願いしたいと思いますので、記載のメールアドレスに、ご連絡さしあげたいと思います。
 今後ともよろしくお願いいたします。
 

愛国女性 | URL | 2006年12月17日(Sun)10:38 [EDIT]


 
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