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政治における「時間」と「時代」の問題について

        友人の女性が匿名でダイエット相談のホームページをもっているのですけれど、これがなかなか好評で、年間1000件以上の書き込みがあるそうです。
        たまにそのホームページを覗くと、忙しい仕事の合間を縫って、あるいは仕事の忙しさを自分で癒すかのように、本当に楽しく真剣に相談に応じています。そこは多くのサイトと同じように、ホームページでのやり取りは完全に匿名で行われていて、よほどの法律問題が生じない限り、彼女も彼女のところへの相談者も、そのまま正体を明かさないで、そこでの言葉のやり取りをもって「関係」が終わってしまう場合が多いのですが、ホームページを読んだり内容や事情を彼女に直接聞いたりしているうちに何とも面白いな、と思ったのは、相談する側の大部分が女性であるこのサイトで、彼女が「男性」を巧みに装って相談に答えているところですね。男女の性別が相談内容そのものに影響を与えることはほとんどないとはいえ、こうした交換の場の成立というのはどうしても私の興味をそそります。中にはダイエット相談の枠をはみ出して恋愛相談になっていて、「男」である彼女が相談に乗るという場面もあったりして、私も「女」を装って、何か匿名相談しようかなと思ったりします。偽者っぽい、と言う人もいるかもしれませんが、私にはどうしてもその交換の場が「嘘」の場であるというふうに思えない。それどころか逆にこれは私達の国の風土において新しいコミュニケーションの一つかもしれない、と思えてしまうところがあります。
         たとえば「ホレーショ・ホーンブロワーの生涯とその時代」という、ミリタリー史に詳しい人間には大変有名な在る英国海軍軍人の「伝記」があります。司馬遼太郎さんのエッセイなどで一般に有名になった「伝記」ですが、なぜ有名かというと、この軍人の伝記が、その軍人の存在そのものを含めて、著名な政治経済学者である著者パーキンソンの実は完全なフィクションであった、という本なのですね。精緻にも、この本には当時描かれたという「肖像画」までが冒頭に掲げられている。それをすばらしいユーモアとして自国の文化史の一部に許容してしまうところに、イギリスという国の知的遊戯の高踏さがある、というエピソードなのですが、ホレーショ・ホーンブロワーなる人物がいるかいないかに関して、イギリス史そのものを偽造したわけなく、あるいは誰それに迷惑をかけたわけでもない。ただの知的遊戯といえばそれで終わってしまうようなところに、この本が存在しているということが面白くもあり、重要なところなのですね。そして私達が疲れきったかのように浸っている事実主義、客観主義そのものを、本書の読者の行為までひっくりめて、物語化してしまったエピソードともいえましょう。我が国で記されている伝記は数多いですが、果たして、架空の政治家や軍人の伝記を信じ込まされたエピソードの形成を通じて、「伝記を書く(読む)」という行為に、軽さという幅を与える風土があるでしょうか。ないのならばあって然るべきだ、と私は思います。「事実」や「客観」はもちろん世間の様々なレベルや次元での尺度足りうるべきでしょうがしかしそこから一足先に成熟というものを想定して、それらそのもの、を楽しむということが許されていないわけではない、ということもできると思います。ゲーテの「主観的な時代は不健全であり客観的な時代は健全である」ということを指して「歴史上の御伽噺を真実でないとわかっていて信じることができるくらい大人びているということが客観的ということで、何でもかんでも客観的といって騒ぎ立てる人間が主観的であるという意味」といった、小林秀雄の解釈も、おそらくそういうところにあるのですね。私達は依然として、というべきかますますというべきか、客観的(事実的)という言葉にふりまわされ、そして疲れさせられているとさえいっていいのですね。私にはなんとなく友人女性のインターネットでの悪戯が、なんとなくこのパーキンソンの悪戯を連想させるところがありました。あるいは問いをさらにすすめてみて、ネット文化における「事実」「客観」と何か、ということが、ネット文化における「言葉」とは何か、という問題を考えさせる面があるように思える、ということですね。
         たとえばどこそこで交わされる言葉に「責任」が伴いにくいということでネット文化を批判するのは正しい面をもっている。しかし「言葉」がそれを発する人間から離れて、そこで行き来するとしたら、ということは、わが国のような風土では、検討に値することである、とも考えられる。我が国では、というのは、たとえば師匠が死を直前に控えた場面で、ソクラテスの弟子たちは、平然と「不死」を否定する議論を展開する。彼らはソクラテスを嫌っているのではなく、尊敬しているからこそ、言葉による真実の探求を、最後の瞬間までやめない。月並みな言い方ですが、そこには、言葉というものへの、我が国の風土とは絶対に違う何かの姿勢がある。パーキンソンの「ホレーショ・ホーンブロワーの生涯とその時代」のフィクションの、騙された読者との共同作業とさえいっていいユーモアを「本当でない」がゆえに理解できない、という人が、果たして死を目前にした人間を前に、「人情」を拒んで、不死を完全に否定できる「本当のこと(本当だと思っていること)」を言葉で吐くことはできるでしょうか。それは事実主義や客観主義とは全く違う次元の問題だ、と言われるかもしれません。しかし私に言わせれば、そういう見解は「事実」や「客観」あるいは「責任」という、言葉と自己のかかわりを逆に卑小に考えているからに他ならない、ということになる。私に言わせれば、「相手の顔が向こうの世界にある」ことの見えにくさが、言い安さということ、入りやすさということでもある、という理解があってもいいのではないか、ということです。
          つい使ってしまいましたが、「客観」「事実」と並ぶこの「責任」ということに関しても、私達はいろいろな疑わなければならない錯誤に陥っているところがあります。政治家が過去の発言に関して間違いや嘘だったことを認めて謝る。あるいは文学者が文学の言葉の無責任的な世界に耐えられない。こうしたことが「責任をとった(感じている)」といえるかどうかは幾重にも疑わなければならないことなのですが、私達は何となく受け入れてしまっています。たとえば吉本隆明は言語における責任を巡る三島由紀夫と埴谷雄高についての対話に関し、言葉に関して死を示すことをもってしてまで責任を持たなければならないという三島の見解を「言葉の前でそれを発した人間は姿さえも見せることはない」と反駁した埴谷を評価しましたが、私達が「言葉に責任をおう」ということに関して、たとえば三島が言うように「キリストという人間は死んだからこそ(=責任をとったからこそ)その言葉は実質化した」というのではなく、埴谷が言うように「キリストが死んでその言葉が実質化したことに(=責任をとったように見せかけてしまうところに)言葉の恐ろしいけれど根拠としなければならないからくりがある」ということがより真実的である、ということなのですね。しかし私達は三島的な潔さがむしろ一般論的なことを知っています。どちらが正しいかという問題ではないのですが、ここで言う埴谷の理解の方が、ネット文化の肯定的理解に近いものを与えてくれる、とはいえるのですね。「向こう側の世界の顔が見えない」ということが、言葉の本質に反する、倫理に反する、ということはただちにはいえない。もちろんネット世界での言葉のやり取りが理想的ということではありません。しかしいろんな柵にとらわれて、「事実」や「客観」あるいは「責任」というものから解放された、日本人がもしかしたら経験したことのないような、言葉のやりとりがある、ということもまた確かであるように思えるところがあるといえましょう。彼女のホームページを読んだ時に感じることができるフワリとしたユーモラスな感覚は、私にはそういうふうに分析できるのですね。もう少し乱暴な言い方をすると、三島的な潔さが、「あなたも同じ」式の日本的平等主義の悪い方向にいってしまっていることに私はうんざりしている。政治家の謝罪一つとっても、「潔さ」が選択される価値や立場でなく、「あなたも同じ」式に雰囲気的に強制される倫理の俗化してしまっている。そこには「客観」も「事実」も「責任」もそれを求めているといいながら何も実体的になっていない。それに比べれば、女性が男性を装って(物語化して)ダイエット相談に応じるというフィクションは、倫理的と思い込んでいた政治家や実業家や教育者の「正体」がばれてしまう「事実」と「客観」の遊戯なんかよりも、よほど何かの成熟を感じさせる遊戯ではないか、ということを乱暴に言いたいのですね(笑)もちろん知的なものととうてい言いがたいとしても、ですね。そして彼女が実はそれほどのシンデレラ体型ででないにもかかわらず(笑)多くのダイエット成功者を排出させているというところもまた、なかなかパーキンソンの伝記作成のエピソードを感じさせてしまうところがありますね(笑)いずれにしても、彼女が行っているこのダイエット相談は、「姿も見せない」倫理を維持できているところに、ユーモアがあり、そしてやはり本音の衝突のしあいがあって、どこぞの星占いの女性などよりも、ずっと入りやすい言葉の世界がある、というふうに思えます。
         これのどこが政治の話なのか、というと、なかなかの理屈屋のこの女性が政治家志望でもある、という、やはり何だか政治に関係ないところあたりからでしょうか(笑)この女性、奇妙な直観を次から次へと思いつく女性で、インターネットの波及がリバタリアニズムを可能にすると急に思いついて電話してきたり「ダイエット」が一つの政治的党派を結成という文章を書いて手紙で送ってきたりして、政治家というよりは、シュールレアリズムを許容していたころの革命家といったタイプなのですけれど(笑)その彼女とこの間電話で長話していてやはりこのインターネットでの相談のことに何となく話が及び、珍しく思いつきでなく、どうも最近相談していてひっかかるところがある、となかなか真面目なことを話してきました。ほとんどの相談者が、「痩せたい」ということを、「若い頃に戻りたい」ということと一致しているようで・・・人によっては、「若い頃に戻りたい」という言葉から一度も「痩せたい」という言葉を使わず「どんなダイエットサプリメントがいいのでしょうか」と結論的に質問してくる人も少なくないようで・・・何だか不思議に思えて仕方ない・・・ということを言っていたのですね。見逃しがちな当たり前のことにこういうふうにひっかかるところが、やはりちょっと普通の女性と違うところです。「若い頃から太っていて若い頃でなくなった今痩せたいという人はどんなふうに言っているのか、というと、「失われた若い頃を取り戻したい」というふうに言うそうなのですね。そして「若い頃」にこだわらない(多くない)人間の方が、ダイエットに関して冷静に向きあい、成功率も高い、と彼女の意見もまた面白いと思えました。
         私のいい加減な感受からすると、こういう人たち(若い頃=痩せた頃)の考えは、たとえば、血液型に群がる人間と類似した浅はかさがどこかにある。血液型は型によっては進化的発生もしてきたし(AB型のように)あるいは今後新しい血液型が生まれる可能性もないわけではない。大体、血液型というのは人類の進化の過程で数万年前に生まれたもので、人間特有なものではありません。しかし血液型の性格理解というのは、そういった時間的な流動を認めないからこそ成立する擬似科学の物語なのですね。あるいはたとえば「日本の皇室は朝鮮半島から渡ってきた騎馬民族である」という(実証的にも間違った)見解を私達がやり取りするとき、「朝鮮」をせいぜい十九世紀以降の世界地図や世界史でしか理解していない。日本の国民文化の発生が朝鮮の国民文化の発生よりやや遅く、存在しない朝鮮文化が日本の国民文化の発生に影響を与えることはありえないという流動的な理解ができていないまま、朝鮮から来た、来ない、という現代に縛られた理解そしているところに根本的な間違いがある。私達は歴史学者が「正しい・正しくない」というのとは別の意味で、歴史的時間を再構成してしまっている。それは十九世紀以降のどこの歴史的時間のポイントかは不明ですが、立ちかえるべき始原があるからこそ、なせる擬似歴史学なのです。血液型も同じで、進化的な把握は全く拒絶され、(何の根拠もない)性格判断により、たとえばO型人間に生まれたという本質に回帰し、あるいはO型人間の発生という時間的始原に立ちかえるかのような錯覚を楽しむというところに、「血液型のレイシズム」のからくりがあるといえましょう。O型人間にはO型人間の、B型人間にはB型人間の本質あるいはイデアがある、そこからの距離(現実)を楽しむ、という疑似科学がフィクションしたあまりタチのよくないメタフィジックスですね。ここでいったん結論的なことを言えば、本質やイデアを時間に関してそれを拒絶しきって私達が日常的に思考するということは、実に難しい、ということなのですね。擬似科学としての血液型を否定したからといって、「正しい性格判断」が存在するという立場からの否定では、サイエンスが実はその起源である一神教的宗教を批判するのと同じで、ある種の近親憎悪的な応酬の始まりがそこにあるに過ぎない、といえましょう。
       「痩せたい=若い頃に戻りたい」という、彼女の相談内容の多くの話に戻って考えてみると、彼ら(あるいは私達)は、「自分の人生の時間の進行」を、単線的に考えているようでいながら、若い頃の理想状態に近づくことで、単線的に進行する時間から疎外されなくなる、という記憶の再構成を絶えずおこなっていることに気づかされます。本当の自分(本質)と、そこから遠ざかったり、近づいたりする自分、ということですね。若い頃が自分の存在の基準であるという保証はどこでもない、ということは、いったいどこの次元で私達のコモンセンスであると考えるべきなのでしょうか。司馬遼太郎はこうした「若さ」への憧憬をからかうかのように「早く歳をとらないか」という逆説的表現を好みましたが、私達が人生の時間の進行を再構成し再評価していることは、果たして健康に関してだけのことなのでしょうか。性欲一つとっても確かに若い頃というのは過剰であるほどに恵まれているかもしれませんけれど、だからといってよい恋愛物語があるとは限りません。老いれば死に近づくから若い頃は理想状態である、という意見もあるでしょうが、それはおそらく違います。「若い頃の方がよほど死は身近であった」とはセネカやキケロなど「若さとは何か」を考え抜いたローマ時代の何人かの哲学者の(この時代に特徴的といっていいほどに)繰り返される主題なのですが、どんな人間でも、自分が死なないかもしれないという確信を捨てきれずどこかで死を信じていない、というドストエフスキーの公理とさえいっていい言葉に従うならば、若い頃は、各々の時間的な感覚からくる(であろう)死なないかもしれない、という確信を強く抱いているからこそ死に直面する場面が少なくなく、老いれば時間的に死を意識せざるをえないから、逆に死から遠ざかる術を心得るようになる、ということなのですね。かくして若い頃が私達の存在の基準であるという保証というのは、ますます不明確なものになってしまう。結論的なことを言えば、「過去」とは何か(存在しないかもしれない)ということでなく、過去を求める(再構成してしまう)私達は何か、ということが、彼女のダイエットのホームページに訪れる人たちに彼女が感じたことから考えられるかもしれない、といっていいのではないでしょうか。私達の人生に本質(あるいは意味)はない、と無神論的に宣言しながら、人生の時間のそれぞれに「本質」や「非本質」を私達は知らず知らすのうちに与えてしまうのだ、という先述した中休み的な結論が、ここでも繰り返されることになってしまいますね。もちろん無神論的立場とメタフィジックスを否定する立場は必ずしも同一ではない。しかしやはり両者のどちらかのみを主張してもう一つを主張しないということはおかしい、といわざるをえないともいえると思います。
       ネット文化のコミュニケーションは言葉を発する「向こう側の誰かの顔がみえない」ということに関し、私達が慣らされてしまっている言葉の倫理観をもう少し広いところに解放するところに面白さや問題性がある、といいましたけれど、「みえない」ということを否定的に言う論者が大体「見える」と主張するであろう、「過去」への理解ということに関して、私達は何かの間違いに陥ってはいないでしょうか。過去は定まったものであり、そことの言葉のやり取りの関係はコミュニケーションというのはおかしいほどに、安定し安心したものである。しかしその実はそうではない。私達はそこで、現在にかかわるものよりもある種遙かに難しい「コミュニケーション」を要求されているのです。たとえば私達は、文化史上の作家や哲学者あるいはその他の人物を、教科書なりその著作に記されている肖像画を通じてイメージしますが、この当たり前のことが実のところ私達を、文学や哲学、思想の生々しい理解から遠ざけ、哲学史や思想史の安穏とした語りの方に引っ張ってしまうことが多いように思える。「向こう側の顔が見える」ということとは何か、という問いをこうした場においては実は私達はあまり深く考えていない。まず「たかが肖像画じゃないか」という考えが、私達の懐疑をスタートさせてくれない。たとえば前述の「ホレーショ・ホーンブロワーの生涯とその時代」という「伝記」は年代や画家を使い、架空人物の「肖像画」まで巧みに描かせたのですが(これは文化人の「伝記」ではないですが)そこに最も精緻なフィクションの術があることを感じます。最も疑われないものを使う術と、言い換えるべきでほうか。「その肖像画が偽物か本物か」という議論はしても、「肖像画とは何か」を議論しないところに、私達の「過去とのコミュニケーション」が陥りやすい落とし穴があるのだ、と私には思えてきます。
         「肖像画」はただの容姿の保存ではないのです。そこには様々な価値が保存されていて、私達はそれを受け入れて、慣れきってしまっています。サルトルの「存在と無」に目覚まし時計の「不安への防護柵」の喩えというのがありますが、私達が目覚まし時計に様々なもの、債権や債務の到来や未到来ですらも予感することによって「目覚まし時計そのもの」を認識することの不安から逃れているように、私達にとっても「肖像画」というのは、絵画であれ写真であれ、重い価値を幾重にも背負わされている。サルトルという哲学者は随分当たり前のことを言うのだな、と笑うことはできません。たとえばカントの肖像画というのは、描かれた年代が接近した「一人のカント」であることは確認できても、いかにも「純粋理性批判」の著者という演技過剰なものもあれば、陰鬱で嫉妬深い表情を浮かべた猫背のカントもあり、それらの肖像画を観た上で、私達がよく知っている晴れやかに澄んだ表情のカントの肖像画というのを観ると、私達が肖像画というものに対して背負わせている「価値」というものが、どことなくわかってくるような気がします。肖像画を描く画家の自己表現という面をもちろん差し引きしても(写真の撮影も自己表現行為の一種であることは言うまでもありません)多くの彼に関しての伝記が伝えるように(そして教科書的エピソード上のカントとは全く異なり)食事の席では哲学の話をいっさい禁じ、全く哲学的能力がない人間に対してほど熱意をこめて自説を説くというほどに、自分の哲学学説に激しい虚栄心と防御心をもち、極度の人間不信が原因としか思えないほどに友情や恋愛を遠ざけ、教科書的に有名な彼の定時刻の散歩も、マフラーで口を覆い、誰とも絶対に会話しなかったという、複雑な人間性を信じることができるような気がしてくる。もちろん、教科書的なカント像というのも、決して虚像なのではありません。どれもかもが本当の、矛盾だらけだからこその、生々しく正しい(可能性のある)カント像なのですね。ところが、「一人のカント」が彼の生涯のディテールを記録として追えば追うほど、実は彼が私達の考える意味においてはいないかもしれない、という、考えてみれば当たり前の理解から、「肖像画」遠ざけてしまう。あるいは少なくとも近づける働きはしてくれない。カントは男は醜くてもよいといいつつ、自分の肖像画のどれも気に入らなかったといいますが、そこに、肖像画というものがもたされている価値というものへの、配慮があったことを感じるのは見当はずれではないでしょう。
          サルトルの目覚まし時計の喩えに戻り考えれば、時計と債権・債務の予感が本当は無関係であるように、「絵」も「写真」も、自分の人生の時間の流れの一部である、ということは全くのフィクションである、ということになりますね。私達は明治時代に写真に出くわしたときの日本人のエピソードの数々を嘲笑しますけれど、そこに立ち止まって考えなければならないことがあることに不思議なくらい気づかない。明治初期の日本人が文明的に遅れていたから驚いたのだ、という考えは、おそろしいほどに浅い見解といわざるをえない。では何に驚いたのか、ということについていえば、彼らは、サルトルが目覚まし時計の喩えで言いあらわそうとした、「そのもの」を認識したときにおきる不安に驚愕したのですね。「写真の中の自分が自分である」ということを、写真に背負わせている「価値」を知らなかった彼らは理解できなかったのですね。私達は写真というものを全く理解できない世界で、果たして「写真の中の自分が自分である」とスラスラ説明できるでしょうか。あるいは、写真を自分の記憶の一部であるとしてまるで命のように大事にする私達を不思議そうに見つめる未開人に出くわしたとき、そこに存在論のレベルでの優劣を素直に感じることができるのかどうか。たとえば私達は、数世紀のち、自分に関しての生物的なレベルから社会的なレベルまであらゆるほぼ完全でそれをディスプレイすれば自分が再現できるという客観的データが、ある小さいディスク(でも何でもいいですが)の保存される時代が来たとき、「ディスクの中にいる自分は自分である」とはしばらくいえないに違いない。「私達は記号ではない」と反論する「時代遅れの人間」が、しばらく後を絶たないことでしょう。
          写真に驚愕恐怖した明治時代の人間も、「絵画の中の自分」は(すでに)理解できていたはずです。「写真の中の自分」が理解できて、「絵画の中の自分」が理解できなかったことに、実は考えなければならない、汲めども尽きぬ何かの自分の人生的時間の流れの抽象化がある。肖像画は時間を止めるだけでなく、私達を時間の疎外から助ける観念的働きをもつからこそ、人類史において重宝されてきたといえると思います。人生的時間が再構成されるということは、時間の変換物である(と思い込んでいるか、あるいはその可能性がある)「記憶」のシンボライズ(象徴化)ということと蜜接なのでしょうが、私達は「違う自分」への象徴化のうちに、自分の人生的時間を再構成して、そこに、本質的な時間と非本質的な時間を価値判断してしまうことに、友人の女性のダイエット相談の疑問が考えなければならない方向性が何かの形である、とどうしても私には思えてくるところがあります。私達は、無数の肖像画(写真)を整理することを通じて、人生的時間そのものを整理できているという錯覚に陥っているのですね。結論をいえば、人生のどの部分においても、本質や非本質的なことはない、ということになります。しかし困ったことに、自分の人生的時間だけならばまだしも、私達は、記憶の象徴化という根拠のない時間の整理を、歴史という他者の世界にまで向けてしまうことがあるのですね。
       写真が存在しなかったカントの時代と必ずしも同一の次元で比較できないかもしれませんが、たとえば、67歳で政治家デビューした吉田茂がなかなかすごい、優れた政治家というのはやはり常人とは違うと溜息をつくように思えてしまうのは、外相就任から五次に渡る首相在任、そして政界引退後、死の直前まで、どの写真の中にも、同じ吉田茂がいるという感覚(錯覚)を、ほとんど信じたくなるほどに与えてくれるというところにあります。「言葉を発する人間の向こう側の顔が見えない」というネット文化批判を忘れさせてしまうかのような、虚像の実体化がそこにある。彼の言葉を、彼の肖像画がスムーズに予感させてしまうのですね。もっと驚くのは政治家デビュー前の、外交官僚やその後の浪人時代に関しても、そのことがいえてしまうような気がしてくるということです。彼の喜怒哀楽や外見の老いの変化ももちろんある。(ウルトラコンサバティヴとして彼を忌み嫌う人たちが言うような)たくみすぎる演技とか、(逮捕をものともしなかった戦時下での講和運動から察することができる)彼の真正直さとか、それぞれに言う人間がいるでしょうが、そのどれもが正しく、そしてそのどれもが説明をしつくせていないような気がしてしまいます。少なくともいえることは、政治家ほど思想的にも、人間関係的にも、巧みな変わり身を要求される職業はいない。しかしそれだからこそ、「変わらない個人」を要求される、ということもいえる。
        たとえば東久邇内閣の外相として政治家スタートした吉田茂は、当初は官僚を好み、内閣を組織するようになっても官僚起用をその特徴としたくらいですが、次第に毛嫌いしていたダーティーな政治家の起用も辞さないような変わり身をする。そのような過激といっていいほどの只中で、やはり周囲の人間、選挙民、国民は、「連続性」を政治家に求めるのですね。私に言わせれば、私達が政治家に求める「政治のわかりやすさ」は決して「言葉のわかりやすさ」ではない。政治家どうしのディベートで、難解な数字的・統計的なデータや解析でもって、論争相手を圧するレトリックを駆使するのを観るとき、「わかりづらさ」もまたある種の政治的レトリックであることを私達は知らずのうちに感じています。私達が「わかりやすく」ということの意味というのは、本当は「連続性」が不明瞭であることによるのですね。数年前と現在の政治家が別のような人格になったとき、それがたとえ「発展」といえるような変貌をとげたとしても、私達は何となくの不安を感じる。数年前自分の選択・非選択が危ういものになってしまうということにおいて、その不安というのは、実は自分の問題でもあって、さらにいえば自分の人生的時間の再構成のフィクションにもかかわることでもあるのです。政治家が「変わり身」を乗り越えたところに変わらない自分をつくりだせるかどうか、という問題があるのですね。だから思想や間関係で変貌しても「一人の政治家」である場合は、その政治家はなかなか支持を失わない。ところが反面、それほど内面的・外面的に豹変したわけでもないのに、いつの間にか国民的人気を喪失してしまう政治家というのは、様々なアクシデントの中で、「一人の政治家」という認識を感じられなくなっていく、ということがよく起きる。そこで表情が複雑であるふうになれば、その政治家は「わかりづらい」というレッテルを暗に貼られてしまう。念のため言っておきますが、それは決していいことである、というのではありません。ただ私達が自分の人生的時間に対しておこなっている、再構成や象徴化という、不安を避けるための営為が他者に向けられる典型例として政治家の在り方がある、ということなのですね。自分の人生的時間が、疑われることのない「時間」であることを求めるように、私達は政治家という、最も身近な歴史的他者(あるいはそれになることのできる可能性のある人たち)に、わかりやすさというものを求めてしまうのですね。こうした理解は制度的な理解に関しても、君主制(立憲君主制、象徴君主制)の方が共和制よりも優れている、なぜならば君主が「人格と歴史」を相続することによって生じる時間的安定性、という私の意見に近いものをもたらしてくれる場合もあります。しかし反面、現在を中心にした短い間でしか政治・歴史を理解できないために、先述したような「朝鮮から皇室が移動してきた」という、古代史の二十世紀的理解という誤謬を犯すことになりやすい、ともいえるのですね。なぜなら、私達の現在を基準にしたに過ぎない歴史(この場合、過去と同じ意味ですね)の再構成を、まるで自分や他人の人生を考えるかのように、「日本史」という「他者」に対しておこなっているからですね。つまり、サルトル的な「不安」の反対概念はこれらの場合、「わかりやすさ」ということにある、ということになるということです。
         このことをもう少し私達の歴史観(あるいは政治史観)において敷衍して考えれば、「わかりやすい時代」というのは、「わかりやすい人物(その多くは政治家)」によって形成される、正確に言うとイメージ化されるといっていいでしょう。特に各人の伝記中心で歴史を理解する場合、こうした認識に陥ります。「歴史をつくるのは人間だよ」という理解ですね。繰り返しになりくどいかもしれませんが、ここで言う「わかりやすさ」というのはそれを操る人間の言葉の平明さではありません。たとえば、近代史における「わかりやすい時代」の例として、戦後民主主義の黎明期があります。そこで活躍したのは吉田茂ばかりではない。彼の政敵の鳩山一郎もまた「一人の政治家」というイメージを背負うことのできた政治家の典型例であった人物でした。これに対し、黎明期をしばらく過ぎたあたりで、政界の中心に現れてきた(正確に言うと再浮上してきた)岸信介は、私はその鋭利な政治的見識と凄まじいまでのしたたかさから、戦後で最も優れた政治家であると確信しておりますが、決して「わかりやすい政治家」ではない。三島由紀夫が、60年安保騒動のトラブルは、首相である岸信介が「小さなニヒリスト」であることに政治的大衆が鋭く感づいたからだ、といいますが、私にはその意味が非常によくわかる気がする。政治家が絶えず変わり身を要求されるということは、「何をも信じてならない」というある種の徹底したニヒリズムが要求されることを意味します。岸信介という人が東条内閣の閣僚から戦犯逮捕を経て、戦後政界に重きをなすまでの様々な変貌の中で、「一人の政治家=ニヒリスト」であるということをどこか微妙なところで隠しきれなかった、ということにあるのでしょうね。ふたたびサルトルの「存在と無」からですが、信じないられない状況という状況の存在の可能性を考えつつ敢えて信じるという決断にとどまるがゆえに、「信じることは信じないことである」という言葉をもじっていえば、ニヒリストというのは、ニヒリズムを演じきれないニヒリズムでない何かによってよって表面化・顕在化してしまうものなのであって、「ニヒリストは(ニヒリストであることによって)ニヒリストでない」存在である、ということがいえるかもしれませんね。
        この時期以降の自民党政治を「保守暗闘」と評する政治評論が多いですけれど、なぜ「暗闘」なのかといえば、それは戦後民主主義の黎明期におけるわかりやすさが次第に後退し、ある意味で政治家がある意味「正直」な人間になっていったことによる、と私は考えています。そして岸信介の例でも明白なように、個人の政治家資質そのものを意味することでないということが重要なのですね。もう少し以前の歴史を遡れば、戦国時代がその後の江戸時代やそれ以前の後期室町時代よりも、遙かに激しい殺戮の時代であったにもかかわらず、好かれるのは、登場人物の「わかりやすさ」によるのではないでしょうか。「歴史は人間がつくる」という、先述の超一般論的見解も、こういうふうに理解すれば、意外に重みを持つ言葉であるといえると思います。戦後民主主義の黎明期もその後の保守暗闘期も、あるいは室町後期時代も戦国時代も江戸時代も、「面白い時代(あるべき時代)」というのは存在しない、ただあるのはそこで活躍した(活躍したとされる)人物への私達の評価があるだけなのだ、ということですね。そして私達は知らず知らずのうちに、自分の人生の時間的な流れと他人の人生の時間的な流れ(政治家をはじめとする歴史的他者)への評価を混同してしまっているということです。歴史の「本質的な時間」というものがないように、自分の人生の時間の流れにも本質的なものはない、というふうな理解が、こういうふうな考え方をすれば、すんなり理解できるのではないか、と思います。
        友人のホームページの話から、すっかり話が脱線してしまったようです。ちなみにその女性も私と同じB型です。私の文章は疑似科学ではないのですからどうでもいいことですね(笑)真面目に政治の話ができるよう努めたいと思います。

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